1969-07-11 第61回国会 衆議院 本会議 第59号
その後また松永議長に対して高津正道副議長、松岡駒吉議長とともに本院の名議長として誉れの高い益谷秀次議長に対する杉山元治郎副議長。このようにして、第一党、第二党の議長、副議長の間で議会は運営されてまいりました。ところが、星島二郎議長が選出されるに及んで、その副議長は従来の慣例を認めずして、自由民主党から同じく副議長として椎熊三郎議員が選出をされたのであります。
その後また松永議長に対して高津正道副議長、松岡駒吉議長とともに本院の名議長として誉れの高い益谷秀次議長に対する杉山元治郎副議長。このようにして、第一党、第二党の議長、副議長の間で議会は運営されてまいりました。ところが、星島二郎議長が選出されるに及んで、その副議長は従来の慣例を認めずして、自由民主党から同じく副議長として椎熊三郎議員が選出をされたのであります。
幸いに明朗磊落にして剛直なる松永議長のあるあり、この議長を助け、過誤なきを期したいと存じます。 私は、各位におかせられても、悪に強きは善に強しということわざを思い起され、私の職務の遂行に対しても惜しみなく御協力を賜わりますよう切にお願いをいたして、私のあいさつとする次第であります。(拍手)
○松永議長 いろいろごやつかいになりました松永東でございます。 私もずつと前、そのころは議運とは言つておりませんでした。各派交渉会と言つておりましたが、そうした仕事にも関係しておりましたので、その当時の多少の議事典令等はわかつたような気がするのですが、新しい運営についてはまつたく盲目で、ひとえに議運の方々の御協力によらずんばこの大きな役目を果すことができぬと思います。
松永議長は、この紛糾を運営委員会に委せつ放しにはしておりませんでした。これは、ここにおるところの遠山丙市君も、或いは民自党の幹事長をしておりますところの廣川君も、或いは運輸大臣をしておりまするところの小澤佐重喜君も、同樣、松永議長の下に、五年間私共は一緒にやつて参りました。